先日、大学の芸術の授業で釧路芸術館に行ったの。
今回鑑賞したのは、「片岡球子と難波田龍起展」。
事前に「片岡球子は日本人画家として有名な人で、主な作品は水玉。」とか説明してて、草間弥生さんと勘違いするという大ボケをかます。^^;
本当にすいません。
予めお願いしていたので、アートホールで学芸員さんのレクチャーを聴いた。
片岡球子氏のことは何度も日展に落選してたことは知ってたけれど、元小学校教員だったことや親に勘当されながらも画業を続けてたことは知らなかった。
いや、知ってたのは落選続きだったことだけだったね。
その中で、特に印象に残っていたのが以下の2つ。
ゲテモノと本物は紙一重
片岡球子氏は1905年生まれ、2008年103歳でその生涯を終える。札幌生まれ。小学校教員を30年間勤め、その後は大学で教える。若かりし頃は院展などに出品するが落選続き、周りの人からはその独特な作風から「ゲテモノ」と呼ばれていたらしい。
本人も悩んでいたらしいが、尊敬する小林古径という人に
あなたの作品はゲテモノだが、ゲテモノと本物は紙一重。
「釧路芸術館レクチャーより」
あなたの絵を変えてはいけない。
と言われたそうなんだ。
人は誰だって他人に認められたい。
前衛的な作品を創出する芸術家たちだって、自分の表出するものを、創り出す作品を、多かれ少なかれその価値を世界に認めさせたいと思っていると思うのだ。
「ゲテモノ」と言われた片岡氏が自分の画風について批判され、心が強くなければ悩んで当然だろう。
それが故に、尊敬する小林氏の言葉は心の糧になったんだろうな。
細かさと力強さの融合
片岡氏の作品については、youtubeで紹介したい。
この解説の中にも、小林氏との件が入ってるね。
初期の作品は非常に細かいの。「学ぶ子ら」なんかは女の子が解いている算術(今の算数)のプリントも一文字一文字書いてあるんだ。
そして、後期の頃の大胆なデフォルメされた富士山。
すごく力強さを感じるね。
そんな中で、私が気に入ったのはこの作品。
本物がすごくて、絵葉書を買ってきた。
北斎の顔は線画でさらりと描いている風に見えるのだけど、着物の模様の緻密さが半端ないの。
葉書の画像だから伝わりづらいかもしれないけど、本物は本当に凄かった。
芸術家を芸術家たらしめるもの
片岡氏の作品を見て感じたのは、あくなきモチーフ(対象)への思いと表現に対する試行の連続。
落選しようと、「ゲテモノ」と言われようと描き続けることなんだと感じた。
荒々しさの中にも、一筆一筆に思いを込めて丁寧に制作しているように思うんだ。
そして、描き続けること。
自分に今、欠けていることだななんて思いながら、学生と観賞していたよ。
今回は難波田氏については書かないけど、見劣りしたとかではないよ。
学生たちは難波田氏の作品の感想もたくさん言ってたしね。
「片岡球子と難波田龍起展」は釧路芸術館で2020年2月11日まで。
まだ時間があるから、よかったら観に行ってね。
釧路芸術館
北海道釧路市幸町4-1-5
0154-23-2381
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